2025.1.1. リニュアルオープンしました 皆さんお元気ですか musick 私は風が(ポール・モーリア) 24

2006.開設した勇哲.洋子のポートフォリオ 2010.1.勇哲.洋子のポートフォリオ.は、38リンク3500pリニュアルしました
そして2017.7.より勇哲.洋子のポートフォリオ.へ続き 新.2025.勇哲.洋子のポートフォリオ.

 令和7年より 上瀧勇哲ホームスタジオ125リンク5300p配信中です

 2000.6〜2007.8. ワンワン物語り  

 チャ太くんとダイアナさんの物語


   この
ストリー
わった 愛犬達
紹介するものです


裕美、真一が生まれ、念願の一戸建てを購入し、始めて犬を飼うことになったリッキー、日本犬(メス)

行橋市に引っ越し、ここでもチャ太(オス)ミニチアダックスフンド犬を飼うことになった

その翌年、ナフコ行橋店長から無償でボクサー犬(メス)ダイアナを譲り受けた








 
始 め に


動物と人間は共生した生き物である。

私達は動物を利用して様々な価値観を見い出しているが、
その中でも人間ともっとも深く関わっているのが犬や猫ではないだろうか。

今、世の中ペットブームであるが、
そのペットと関わる人々は責任を持って最期まで看取ることが大切である。

そのテーマを偉そうに並べている私は、その責任を果たしていない。
なぜなら、犬を飼うことを簡単に考え、
癒しの遊びでしか思ってなかったことを今、深く後悔している。

しかしながら、そのペット達は、それぞれに主人である人間達に懐き、
遊んでくれ、癒しの空間を与えてくれた。

私57才、その長き人生の中で携わった犬達の物語を少し紹介して、
動物愛護の心を燃やしてみた。
                  






  野良犬「クロ」を番犬とした時代 1960〜1965


昭和35年〜40年、私の家は小倉三萩野であったが、
その当時は田ンボが広く、緑が実に多くあった。

その中に一つの集落があり、我が家は畳店であった。

私が小学生の頃、広い家屋の工場に一匹のクロ犬が迷い込んできた。
子犬であったので、3兄弟でこっそり飼っていたのだが、

父は工場のイグサ、畳表等に尿をバラつかせるのでイヤがったが、
いつしかその子犬が番犬となった。

名をクロと私達は言っていた。

飼い犬は普通つないでおくものだが、子供である私は、つなぐ意味が分からず、
クロがなつく、ジャレるので放しておく。

すると父が再びつなぐ。
その繰り返しで数年が過ぎた。

周辺には野良犬が多く居たので、
たびたび「犬殺し」という、

市の職員が来て犬を捕まえていたようで、
そのうち裏の倉庫でキャンキャン吠えながらクロが連れ去られた。




 家族に仕えた12年、リッキー 1985〜1997.4

若松で10年間過ごした私達家族は、娘も9才、真一4才となり、
そろそろ一戸建ての家がほしくなった。

それまで住んでいる社宅は家賃3000円で格安。
社長は若いとき貯蓄をして早く自己の家を持て !! と勧める。
そして中古家であるが小倉南区に念願の家をローンで買った。

そして子供達が真っ先に欲しがったのが犬。
小倉井筒屋デパート7Fにあるペットショップで、
日本犬の雑種(メス)クロ色の子犬を7000円で購入した。
昭和60年、夏のことである。

早速、私は犬小屋を作るが、名前は子供に任せると「リッキー」とつけられた。
廃材で作った犬小屋にリッキーと名前がつけられ、首輪をし、紐をできるだけ長くして括る。
通りの路地側の通路に小屋を置いた。

車庫の隣なので、私が会社から帰ってくると良く懐いてくれた。
それよりも子供達が良く遊び、その世話を洋子が務めた。

しかしながら大きく育ち、中型犬になると散歩も大変である。
真一も幼稚園から小学生になると、学校と少年サッカーにおわれ。
裕美も中学、高校になるにつれ、リッキーから遠ざかってしまった。
もちろん私達夫婦もである。

そんな中、隣の財前さんや近所の人達が、
とにかくリッキーを可愛がってくれた。

ただ一つ、厄介なことはメス犬であること。
放し飼いをしているオス犬が我が家に入り込み、
交尾をして子犬が産まれることだった。
一度に5 〜 6匹生まれる子犬を、
私は三度、北九州市動物管理センターに持って行ったことがある。

それでオス犬が入らないよう、夜はとくに門を閉ざし、入れないようにするのだが、
高さ1.2mのヘイでも簡単に飛び越えて入ってくるから、
私は随分それらの犬を木刀でブン殴って追い払った。
もちろん交尾して離れないリッキーも木刀で叩いてやったことが何度もある。

そんなイヤな想いを断ち切る為、
家族に相談なしで平尾台の山中にリッキーを離してやったことがある。

我が家から15qも先の山頂付近だし、近くに農家もあるし、
だれか飼ってくれたらの期待があった。

そして15日が過ぎた頃だった。
やせ衰えたリッキーがヨタヨタして我が家に帰ってきた。
家族で泣いた。

もう、リッキーは我が家の一員であることとして大切にすることを誓い、
リッキーの犬小屋を新しく作った。

それもサイディングの壁、屋根も印刷会社のブランケットを利用して最強の犬小屋を作った。
妻がリッキーのネームを小屋に書いた。

そして次の年、糖尿病のような症状でリッキーの命は燃えつきた。
12才であった。
妻と二人で近くの少年自然の家「森の家、そばの丘」に埋めた。
大きな石を置き、線香をたき手を合わせた。

洋子はあふれる涙を抑え切れなかった。

もう決して犬を飼わない、そう私は決心した。




 ニチュアダックスフンド犬を飼う 1999.7 〜 2007.7.22

住み慣れたこの地から行橋市に住まいを構えることになり、
妻が新しい家を決めた。
そして17年間住んだ家と土地と、たくさんの人々との接点を失うこととなった。

特に妻はパートの会社や子供達とともに知り合った
たくさんの友人家族との交流が途切れることの悲しみが多くあったようだ。

そして行橋の地で1人淋しく悲しみにひたる洋子にまたしても犬を飼う決心をした。
家の近くのペットショップで

ミニチュアダックスフンド(オス)、生後1ヶ月を血統書付で飼った。
平成12年7月のことである。

名前の「チャ太」は、私の好きな「チャゲ&アスカ」のチャをとり、
「太」は妻が入れた。
そして始めて家の中で飼うペットとなったチャ太は
家族はもちろん、親戚兄弟から皆にモテた。

しかし家の中でフンをするし、尿もするのが大嫌いな私は、
一度中庭に放り投げたことがある。
このとき前足を骨折した。

病院に行くと、チャ太の前足は内側に向いて、本当は外に向くと教えられた。
その分、足が弱いらしい。けれどもチャ太のお陰で妻も大分元気になった。


 大型ボクサー犬 ダイアナさんは貰い子

ミニチュアダックスフンド「チャ太」を飼って、
その翌年の春、ナフコ行橋店内で、「子犬を貰って下さい」のカードを見て、
「可愛い」と妻。抱き上げてヨシヨシしていると、
店員さんからカワイイでしょうの話し。
でも家にチャ太が居るので置いて、買い物を済ませ、
再びヨシヨシする妻に「貰ったら」の応援メッセージの私。
 でも…… の洋子ちゃん。

すごく、その子犬がなつくので貰うことに決めた私。
店員さんに頂きますと話したら、
奥のカウンターから飼い主の店長さんがやってきた。

店長さん家にはボクサー犬のメスが居て、たまたま身ごもってしまったそうで、
その相手は近所に住むゴールデンレトリバー犬で、どちらも大型犬。

しかも食欲が旺盛とか。
6つ子の赤ちゃんの中、この犬が一番母親に似ているとか、店長が言う。

そんな話しを聞きながら大柄な店長の顔がボクサー犬に似ている気がした。

優しい店長で、たくさんのエサの缶詰等を頂いた。
もっともそれからナフコ行橋店で二匹の犬達のエサを大量に買うことになるのだが……。

生まれて20日あまりのボクサー犬は、成犬のチャ太より小かった。

しばらくは二匹とも家の中で飼うことになり、
夫婦のフトンの中でそれぞれ寝ている。

もちろんオネショもするし、フンもするし、めんどうが大変である。
しかし二匹の犬達が元気に飛び跳ねていると実に我家は楽しい。
ちなみにボクサー犬はメスだし、家も洋風なのでダイアナと私が名前をつけた。

チャ太とダイアナ2ヶ月、やがて親と子に変化する大きさになった。
ダイアナちゃんは、わずか3ヶ月でチャ太の大きさになり、
4ヶ月でチャ太より大きくなった。
その頃より家中で二匹を飼うことは難しくなり、外で飼うことにした。

本来ならチャ太は家中でも良いのだが、それではダイアナが可愛そうだ、
との想いで二匹は一緒のスペースを与えた。

犬小屋は車庫と道路外ヘイの三角コーナーを利用して8畳ほどのスペースを作り、
サクを張り、扉を付け、その中で放し飼いとした。
もちろん手作りの犬小屋をそれぞれ一つずつ与え、洋子ちゃんがネームをペイントした。



 穴掘り名人、チャ太君の習性

もともとダックスフンドはドイツの狩りの獲物を獲る猟犬であると聞く。
その為、獲物を探すとか、見つける器用さは他の犬にないものがある。

胴長であるから、土の中でも掘ってもぐり込むようなイメージで獲物を探す。

前足で器用に土を掘る作業は凄いものがあり、
木の根や何かを取るとき口でカブリついて引き抜く。

芝生広場もチャ太が穴を掘ってめちゃくちゃにしてくれるから、

やっぱり犬小屋に入れるしかない?
その犬小屋周辺も穴ポコだらけだ。




 水が嫌いなダイアナさんと長井の浜
 
春から夏にかけて、
ときどき近くの長井の浜海水浴場に犬二匹を連れて遊びに行く。

遠浅の砂浜はアサリ貝も掘れる海岸だが、
この浜に犬二匹を放してやり、思いっきり遊ばせてやる。

ダイアナとチャ太は仲良く駆け巡り、ダイアナはさすがに足が速い。
ミニチュアダックスは足が短いので、

ダイアナの3倍くらい走らなくてはならない。
それでも互いの二匹は仲が良い。

犬達が好きなボールを持って海に投げると、チャ太は必死に取りに行くが、
ダイアナは決して海に入らない。
水が怖い。海が好きでないらしい。

そこでダイアナを抱きかかえて海に入り、100m沖まで行って、
ダイアナを海に入れると犬カキで岸まで泳いでいった。

もちろんチャ太も大喜びである。
その後、何度となく長井の浜に行くのだが、決してダイアナは海に入らない。




 チャ太君のボール芸


ボールが大好きなチャ太。
小さいときから色々なボールを口にくわえて遊んだ。

ボールが命というぐらい執着心があり、
お気に入りのボールは絶対にダイアナにはやらない。

芝生広場でソフトボールを投げて遊ぶが、
ダイアナはそのボールをどこかにすぐ隠してしまう。

チャ太が見つけて私の元にもって来てくれる。
投げると又拾ってくる。

分からないところに隠していても執念深く探して必ず見つけるチャ太。

そんなチャ太をうまく利用して芸を仕込んだ洋子ママ。
4段のキャタツを二つに折り、その上にボールを置くのだが、
犬はキャタツを登ってボールを取りきらない、が、

チャ太は3段まで登って、
下からボールを突つき落として拾うスタイルの芸を仕込んだ洋子ママ。
この芸は、どこの犬も真似できない。




 ダイアナが逃げた


最近チャ太がすることを真似るダイアナだが、チャ太しか通れない、
あの狭い隙間からでも抜け出ることができるようになった。

穴掘りもチャ太の真似をして、けっこう大きな穴を掘ることができるようになり、
兄弟のように二匹は仲が良い。

そんな二匹を家のガレージから玄関、
車庫までを全てシャットアウトして放し飼いをさせて遊ばせる。
チャ太は家から出ることはなく、

ボールが外にでて拾ってくることはしても、散歩はしない。
ところがダイアナは一歩外に出ると中々家に戻ってこようとはせず、
何度となく逃亡しては捜して連れ戻すことがあった。

大きな犬なので、高さ80pごろの門柱ドア等、飛び越えても良さそうなのに、
ダイアナは下からでしか抜け出しきれない。




 ダイアナさんに9匹の子供誕生、そして
 

新しく新設された舗道と県道は、
田舎道にしてはもったいないぐらいの広さ。

その舗道に面した一角にチャ太とダイアナさんの室(スペース)があります。
8畳ほどを囲って放し飼いにしているが、
その犬どもは散歩する人々を朝から晩まで吠えまくっている。

ただし、エサをくれる人には、人懐っこくジャレているようで、
散歩する人々からチャ太、ダイアナと呼ばれている。

犬達の名前を覚えてもらう為に、ヘイに名札が掛けられているのです。
ダイアナ、そろそろ3才。

チャ太、4才のころ、なぜかしらダイアナが妊娠して大きなお腹になり、
9つ子ができてしまった。

犬小屋の中は子供達でいっぱい。
洋子ちゃんが小屋から取り出して7匹は無事であったが、2匹は死んでいた。

その7つ子は白と茶のツートンカラーで、やや胴長。
顔はダイアナ、耳が長いところはチャ太、
足も短そうだし、どうもチャ太と交尾したのかも知れない。

半月ほどユーミン、真一が牛乳をやっていたが、
すぐに大きくなりそうだったから、誰かに貰ってもらうことにして、

近くのセブンイレブンのお店等に事情を話して
「もらって下さい」のA3カラーポスターを貼ってもらったら、

早速、次の週末、欲しい方が来て一匹、二匹、三匹、
そしてご近所の三軒の方で全て完売した。
その後、市内でもらわれた子犬達の様子や訪問等あって、

皆元気で可愛がられているようだし、
近くにもらわれた子犬達も散歩で母親と顔を合わせて吠えているから、
けっこう楽しませてもらっているこの頃である。




 新しい小屋は二階建て


三角コーナーを利用した土地もけっこう広くあり、
2匹の犬達も仲良くジャレ、ケンカも良くしている。
そんな遊びの空間を更に広げたのが小屋の上に作った二階建てのスペース。

上段は畳1.5枚の広さがあり、
その上から2匹の犬達は散歩する人々に吠えている。

今年の春は道路沿いの松の木を極端に切り、外が良く見えるようにした。
又、一昨年、三角スペースの上にかき棚を作り、
その棚にブドウのツルをはわせると実がたいそう付いた。

もちろん洋子ちゃんもダイアナ、チャ太も食べた。
今年はその木がなぜかしら枯れた。
キウイもオス、メスを4 〜 5本植えたのだが、まだ実が付かない。

又、門のそばにあるドングリの木は毎年の秋に実を付ける。
そういえばジャンボグミも今年は良く実が付き、

洋子ちゃんのお腹の中にたくさん入った。
もちろん、それらの実をチャ太やダイアナさんにもおすそ分けしている。

そのような犬小屋周辺は、できるだけ賑やかにしているつもりで、
今年は新しく木棚を作ってやった。

洋子ちゃんは来年、巨峰を植えることを提案したが、
ブルーベリーも植えるつもりでいる。


 広い芝生がお気に入り

ボール芸の上手なチャ太くんは、とにかくボールが大好き。
ボールで遊んでもらうことしか考えてない。

ときどき中庭の芝生広場に出してやりボールで遊んでやる。
ソフトボールを投げてやると、口でくわえて持ってきてくれるのだけれども、

この数年、五〜六度繰り返したらヘタばってしまい、
少し休憩してから再び持ってきてくれる。

そのパターンが段々と短くなり、年をとったのかナァーと想うほど元気がなくなってきた。
それでも私とボール遊びをしているときは、とにかく楽しいらしい。

そんな遊びをしているとダイアナさんも遊ばせロー!
と言ってワンワン吠える。

彼はボール遊びより家の外に出たいばかりであるから、
家の周りをしっかり囲って出られないようにしてから中庭で遊ばせる。

ダイアナとチャ太は広い芝生が大好きで、二匹で良く遊ぶ、ジャレまくる。
しかし今年はチャ太の元気がない、
ちょっとおかしい?しかしそんなことはない、そんな日々であった。



 チャ太くんの死


平成19年の梅雨は長く続いたが、おかげで新しく植え替えた芝生広場がよみがえった。
二匹の犬どもは雨降りのときはおとなしくしているが、
天気が良くなると決まって小屋の二階から外を見ているか、お昼寝である。

毎日私が帰宅すると決まってダイアナさんがお出迎えしてくれる。
普段はチャ太くんのご挨拶がいつも先である。
しかし、このごろチャ太くんが出てこない。

大好きなお食事も、まずチャ太くんがガサガサ食べてから、
ダイアナさんがゆっくり食べるのが普通なのだが、

最近はダイアナさんに気遣って、
後でゆっくり食べるのかなァーとか想って、数日が過ぎた。

そして7月22日(日)、朝用事で夫婦で出発。
昼過ぎ帰宅。

ダイアナが吠えるのでチョット様子がおかしいと気付いた洋子ちゃんが
犬小屋を見たら、チャ太がダイアナを見るようにして横たわっていた。

洋子ちゃんは怖がって私に知らせてくれたが、すでにチャ太は死んでいた。
口から血をだし、きれいな目を開けていた。

まだ身体が温かく、死んだマネをしているのかと想うぐらい顔はきれいだし、身体もきれい。
ただダイアナさんとケンカしたときのアザがあっちこっちあるぐらいで、
まさか、ダイアナが…… と想ったが、洋子は言う。

チャ太は前から病気じゃないかしら?
そう想っても、なにか信じられない気持ちでいっぱい。
早く病気のことを気付けばよかった。

病院に連れて行けばよかったとか、すべて後悔ばかり。
抱きかかえている私の胸の中までチャ太の温かみが伝わってくる。
本当に死んだのか? 

洋子ちゃんが大きなバスタオルを毛布のようにくるんでくれた。
そしてチャ太の大好きな中庭の芝生広場奥の大きな石の下に穴を掘って埋めた。

神様用の湯飲みと白皿を置き、線香をたいて洋子ちゃんが手を合わせた。
その顔は涙目。

私もジーンとくるものがあったが後悔ばかり。
しばらくはチャ太くんの想いにふけることが多くあった。



 2007年9月、秋

はじめて真一が中庭の芝生を刈ってくれた。
その芝生広場、30坪ほどのスペースの中心に花壇と噴水があり、
ダイアナさんは少し運動すると必ず高さ80pの噴水の水を飲む。

しかしチャ太くんは足が短いので届かない。
それで、水道水をホースで芝生広場に入れてやると、
ホースから出てくる水を止〆ようとして顔と口で打ち切るしぐさをする。

何度も何度も水を止〆ようとするのだけれども水が切れない。
しかし、それを10分、20分平気でチャレンジする若いころのチャ太くんであった。
そのチャ太くん、芝生広場の端にある大きな石の下で静かに眠っている。

ダイアナさんはなぜかしら淋しそうにしているが、ときどき夜間に遠吠えをしている。
チャ太くんを偲んでいるのかも知れない !!

娘ユーミンがお腹を大きくして帰郷した。
チャ太くんのお墓を見て イイジャなーィ。

真一は言う、チャ太は昨年から血尿が出ていた !!
私は始めてそのことを知った。
洋子ちゃんが言う、穴掘りして土をたくさん食べたから病気になったとか。

つづく






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