しい母から貰った新米の味
   
の出会いを大切にし、
    
いやりのハートを持ちたい。

 


この稿は2008.10.に公開したもので、
  
2022.1.に、もう一度手直し、紹介しております。


はじめに


北九州市小倉より行橋市に引っ越して早8年になります。

その行橋市は昭和に入り、周辺の町、村が合併して市政となりましたが、
それ以前は京都郡に属していました。

その京都平野を望む広い台地に
福岡産のブランド米として「夢つくし」が今、
収穫されています。

その
「夢つくし」をひょんなことから知り合った、
進おばあちゃんからお安く頂いております。

一人暮らしの進おばあちゃんは、代々受け継がれている京都郡では
有名な庄屋さんで、先日は洋子ちゃん手作りのお食事会に、
ご招待し、親しくなっております。


娘、ユーミンの結婚も大変喜んでいただきました。

お安く頂いたお米の御礼に、結婚披露宴で彩りされた、
お花とロケットキャンディを添えてプレゼントしました。

そのような楽しい、優しい、おばあちゃんと知り合え、
美味しいお米がいただけること、凄く感謝しています。

そのおばあちゃんと知り合えたきっかけと、我が家から突然消えた
「釣り竿15本と、お米盗難事件」が、今度のお話のテーマであり、
そのおかげで今、新米が美味しくいただけることを、お話します。



母さんと遊べた4年

母が住む行橋市に引っ越して早7年になりますが、
その前に、その当時の模様を紹介します。

2000年、会社は行橋市行事に変わり、通勤時間が車で15分。

その会社から母が住む宮の杜まで20分足らずで行けますから
週2度くらいは行って、話相手や庭いじり等、色々なことをしてあげました。

母が一番喜んだことは、リビングから庭先に出られる縁側を作ってやったことです。

足が少し、不自由している母は、ゆったりした階段がほしかったとことと、
洗濯物を干す庭先を、縁側で干せるよう言っていましたので
、希望道理、広いスペースで作ってやったことです。

それと妻と私の「釣り原稿料」で買った電動ベットでした。

そしてお友達から貰った応接ソファーを何気なくリビングに置いたら、
大変気に入って、いつもそのソファーに座って、手編み物や読書、
テレビを見ているのですね。




仕事帰り、私が玄関から入ってくると、
15m先のリビングから早ようおいでと手招きをしてくれるのです。

今でも玄関のドアーを開けると、母が居そうな気がして、
ついそのソファーを見てしまいます。

母が亡くなって2年が過ぎました。

2008.7.12.は三回忌の法要を家族でしました。

いつも地味な生活をしていた母は、昔から踊りが大好きで、
行橋に来て
英(はなぶさ)という踊りの会、師匠さんとお付合いをしていました。

時々行橋市民会館で、その踊りの会の催しがあり、
見に行ったこともあります。そのビデオがありますので、
見ていただける方は遊びに来てください。


 

母から貰った新米「夢つくし」の味

母と、ちょくちょく会っているとき『お米を持って帰りなさい』と、
30sの玄米を貰いました、それが美味しくて、
お米がこんなに美味しいとは想ってもなかったのですね。

それから母を通して毎年、豊津米を4俵購入し、美味しくいただいておりました。

そして母が亡くなた、その秋、そろそろお米の収穫があり、
購入することになりますが、母がお付合いしていた豊津町の米農家、
進さんとの連絡がつきません。

電話も住所も、進○○さんも分かりませんから、さて困りました。

豊津町は米作農家が多く、進という名前の農家だけで50件以上あり、
豊津農協とお付合いしている進さんだけでも21件あると農協の方に聞きます。
母がお付合いしていた進さんを探すことになりますが、その前に一つ、
私家で事件がおきました。

車庫にあった釣り竿がない !! 

平成17年8月20日のことです。
勤めている会社は土曜日は半日で、昼からお久しぶりに、
庭木の手入れと、大きなイチョウの木を切ることにしました。
その前に洋子ちゃん手作りの昼食は、うどんとチャーハンで
中庭のガーデニング広場のテーブルで頂きます。

そういえば隣の宮崎おばあちゃんが元気で居てくれたら
お誘いしてお昼を一緒にできたのにと、洋子ちゃんが言います。
けれど二人で、緑豊かな自然美の中でゆったり頂ける
昼食タイムは心地良いものです。
それに汗をかいたあとの、そよ風も素敵?なんて言いながら再び、
直径45pもあるイチョウの木を根っこから切っているのです。
でも中々切れるものではありません。

気分を変えて芝生広場の草取りや、タコ壷に挿し木等をしています。
このようなことで日が暮れてしまうのですが、
夕方から、ちょっと苅田港で夜釣りをするつもりで準備を
始めようとしたときです。

アレーエ?   竿がない?


車庫の壁に掛けているはずの磯竿がありません。
もう一度自分の目を疑って竿棚を見ると、
磯竿も投げ竿も全てないのです。

車庫はシャッター着きの6m×6mの広さで、
妻のインプレッサーと私のアベニールが2台入り、
壁ぎわにブロックを利用した棚を4段にして、
たくさんな物を置けるよう、天井高くまで並べています。

その棚にクーラーが8個、磯バッカンが8個、
みかん箱が10個、衣装ケースが5段や釣り大会で貰ったトロフィ、
ブロンズ像がぎっしり保管されています。

洋服タンスの中には救命具が7つ、防寒着から磯ブーツまで、
空いている壁には並継ぎ投げ竿が7段に置かれ、
磯竿5組には全てリールからウキまでセットされていて、
人目で分かるよう置かれています。

もちろん釣行した後、1本1本を奇麗に水洗いし、
磯竿等はウキ、リールごとシャワーで洗って
そのまま壁に掛けれるのですから便利が良いのです。

他に振り出し投げ竿が入った竿袋等が3ケース、
舟竿やルアー竿など、ほとんどこの車庫に保管され、
釣行時にはこの車庫内ですべてまかない積み降ろしが大変楽でした。
ただし、ウキ等の高級小物品は釣りの室に置いてあります。

話は戻りますが、壁に置いてあった竿が全てない !! しかも、
その隣に置いてあった振り出し投げ竿が入った竿袋もないのです。
慌てて妻に聞きます?けど、そんなこと知るよしもありません。

少々興奮して行橋警察署に電話を入れ、説明しますと、
「竿だけですか?」 との問いに?
 
まだ他にもあるのだろうか? 
で、車庫の中を調べてみますと、
車の下にリールが入ったバッカンがあります。
こんなところに置くわけないのにと、
40pバッカンの中に入っているスピニングリール15台の中から、
昨年買ったばかりのダイワ投げ専SSリールが2台ありません。

もしかしてと棚を見ますと、釣研の磯バッカンが2つ、
これもまだナイロン袋が奇麗に掛けられたままの新品です。
それもないのです。
慌てて追加して、ないないずくしの報告を電話でしています。
その30分後、二人の警察官が来て、
状況から取られたものを夫婦で説明します。
そして洋服タンスに入れてあった30sの玄米もありません。

被害総額は100万円を超えますが、
警察は新品でなく中古となりますから、
被害額が大幅にカットされて35万円ぐらいになりました。
さぁーて、これからどうするか。

釣りに行ける雰囲気ではないし、竿もないし、
取られた物はそう簡単に戻ってくることはありません。

警察署はとりあえず報告という形で来週、刑事課の担当から
電話がありますから行橋警察署に来て、
被害等の状況をもう一度説明し、
書類作成等で来て下さいとのことです。

さあーて困ったことになりました。竿が無ければ釣りにも行けないし、
週末からの釣行予定はどうするか? と不安ばかりです。

それで、自分が今できることをすることにして、
近辺の中古品ショップ等のお店を6件電話して状況を説明し、
取られた物を大まかに知らせ、
これに似たような物を持ち込んできたら
「私か行橋署の方に連絡する」ことをお願いをします。

中古品ショップで釣り具が見つかる

次の日は、九州磯釣連盟 北九州支部主催の「少年少女釣り大会」で
、私達夫婦は子供達の指導員として昼過ぎまで取材を兼ねた
雑多なお世話係をします。

その中で釣りクラブの川原さんに昨日、
竿を15〜16本取られたことを話しますと、
たちまち、その話が広まりました。

そして、いつも頼りになる坂本敦俊さんが
「ジョーさん、自分の行きつけの○○に連絡しといたので、
心配せんでイイョ」「すぐ見つかるョ」とあったかい話しです。
そして、それがすぐ現実となりました。

○○店に投げ竿が5〜6本とリールが持ち込まれた連絡が入り、
行きます。と、店長から「先程、行橋警察署が来ましたョ」 

それで「これだけ持ち込まれました」と、
私の釣り具を確認して、行橋署の刑事課に行きます。

盗品は全て警察署が預かり、盗品の身元調査、
本当に私のものであるかを、竿のキズ、
リールの色から道糸は何処のメーカーかを1点ずつ調べるのです。
幸い私の竿には全てルミカさんの蛍光シールを貼ってありますし、
道糸はゴーセンの蛍光DXテーパーライン糸ですから、
警察署はもちろん、○○店さんでも、
すぐに私のものと確認できた分けです。

2週間ほどして犯人が逮捕されます。
その間、押収した釣り具の中に私の物が数点ありました。
けれど、まだ4分の1程度しかありません。

聞きますと、豊津町の大池に釣り具が捨てられたそうで、
池に浮いていた釣り竿を10本ほど回収したものを、
見せてもらった分けです。
でも並継竿は3本継でワンセットになりますから、
7セットの内、2セットだけ揃います。
残りは分かりませんとのことです。

それで、我が家から一直線にその大池まで行き、
6度ほど通って竿を探しました。
すると、沈んでいた竿立てを回収。


そばでバス釣りをしている子供達が協力してくれ、
竿を3本探してくれました。
その他にも、たくさんな釣り具があったと思います。
協力してくれた子供達や、
その父兄にもお礼を言ってアイスクリームを贈り、
ついでに私の名刺をあげて
「もし釣り竿があったら連絡して」までのお願いをしておりました。

そのような釣り具盗難事件は犯人が捕まり、釣り具が4分の1
帰ってきましたが、使えない並継竿が今、5セットあります。
お米も手付かずで帰ってきましたので少し安心しました。

その後、行橋署に6度ほど呼び出されたこと。
○○店長さんや坂本敦俊さん等には、
たくさん協力してもらったこと、感謝しています。

釣り具を盗られるということは、
盗られた方も悪いのかも知れません
しっかり管理してなかったから !! と反省しています。
皆が言います「ジョーさん、開けっ放しの車庫に
高級釣り具を置くのが悪い」と


再び 新米のお話に戻ります。

豊津町の「米作農家 進さん」を探しに何度か行きます。
スーパーマーケットや、お米屋さん、農家の方に直接聞いたりして
情報を集めますが、中々見つかりません。
それで今年はスーパーでお米を買うことを考えておりました。

9月末、あっちこっちでお米の稲刈りが始まっている土曜日、
お天気も良いことなので、
再び豊津大池に捨てられた竿を探しに行くことにして、
磯ブーツと2mのカキ棒を積み込んで、
我が家から25分ほどの大池に向かいます。

途中、ふと「進 商店」というスーパーを小さくしたような
お店がありましたので、もしかして、このお店で聞いたら、
お米の進さんが分かるかも知れない、そう思ってお店に入ります。
すると、おばあちゃんが出てきて、
2件ほどの米作農家を教えてもらえました。その上で

「貴方、良かったらウチの米を買うてくれんね」
「去年、何ぼで買うたね」 で
「1 俵 1.8千円」
「そんなら1,7千円でイイがね」
と言って、わざわざ米倉庫まで案内してくれます。
一応、そのお話を聞いといて紹介された
2件の農家に行き、違うことを知ります。


そして豊津池に行って沼地の中、竿を探しますが結局はボウズの
帰り道、お店に行きます。と、おばあちゃんが言います。
「誰にも米を買うてくれと言わないが、貴方ならやれる」
「店をしていると人の顔を見たら、その人の事だいたい分かる」
「そいヶ米倉庫を見したろガ」 …… 等々。
それで実家の弟と合わせて6俵購入することを決めます。


私の名刺と機関誌「海洋だより」を差し上げますと、
又々お話が長ーく続きます。
「アンタ釣りするんヤネェ」
「奥さんもするんかネェ」
「私の息子は国鉄に勤めていて、釣が好きやったと、進さん。

そいで26才のとき山口県の磯釣りで波にさらわれ死んでもうた !!
「遺体が上がらず……」
「貴方も気つけヤァー」

そして米を作っていた主人も2年ほど前に亡くなり、
福岡に一人娘が居て……。
米も作らんごとなり、親戚に農地を委託して、
こうして分け前を貰と……。
「貴方、本当に気をつけェーィ」 と長ーィ話し。
こうして昨年から新米「夢つくし」を頂いている分けです。

新米夢つくしで夕食会

2009.7.25.1年ぶりに進おばあちゃん家に買い物。
パンとジュース、菓子を買って、私を覚えいてるかナァー?
と思ったら顔を見るなり「上瀧さんと言ってくれました」良かった。

それで妻と二人で又々話が盛り上がり、
明日の夕方、私家でお食事会をすることになり、
進おばあちゃんを招待します。

思いっきり厚化粧して奇麗な洋服、
ネックレス等した、おしゃれな進おばあちゃんと楽しい賑やかな
会話の中、洋子ちゃん手作りのご馳走が写真のように並びます。

そのどれもが美味しいといって食べてくれるおばあちゃん。
行橋に引っ越して又、お友達が増えました。

釣り具盗難事件その後

犯人が逮捕され、行橋署の刑事課に5〜6度呼び出され、
盗品の確認を数度繰り返し、40日後にやっと私の持ち物がいただけました。

その後、犯人の奥様からお詫び、弁護士との手紙のやり取り、
犯人との電話のやり取り、色々ありましたが、
○○さんは雑誌や新聞で私のことを良く知っていた方ですし、
小さなお子さんや奥様の立場を考え、全てを許してあげました。


盗る方も悪いが、盗られる方も悪い。
そのような環境を作ってしまったこと等で、犯人を許してあげて下さい。
と、刑事課の方にお願いしておりましたら、
奥様に、弁護士も、そして○○さんも感謝してもらえました。

早く刑を終えて戻ってきて下さい。
そうお願いしてこの件は今年の3月に終わりました。



釣り具盗難事件と新米「夢つくし」を頂けるきっかけは、
このようなストーリーがありました。



人の出会いの中で、良いことも悪いことも、全て人間がすることです。

優しさや、愛情、思いやり、気遣い、
その一つ一つが、人間を成長させるハートであり、人生でもあります。

若いときは無我夢中で生きていますが、年をとると周りが見えてきます。
そのような年になって、やっと社会に恩返しができる。

そう思って一つ一つの出会いを大事にし、
毎日毎日を大切にした、生き方を、私はしております。

この稿を見てくださり、ありがとうございました。



                   上瀧勇哲 2022.1.更新
 






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              このページは 2008.10.公開 したものです

    釣り具盗難事件と新米