2025.1.1. リニュアルオープンしました 皆さんお元気ですか musick フリーダム(ポール・モーリア)10 |
2006.開設した勇哲.洋子のポートフォリオ 1 2010.1.勇哲.洋子のポートフォリオ.2は、38リンク3500pリニュアルしました そして2017.7.より勇哲.洋子のポートフォリオ.3へ続き 新.2025.勇哲.洋子のポートフォリオ.4へ |
秋義 様 タマエ 様
拝啓 桜の開花が始まりそうなこの頃、行橋市今川河口は、菜の花と桜のツボミが出てきて「こんにちは」しています、この頃です。
さて、先日の訪問では大変お世話になりました。
ツタエお母さんと一緒に、昔、懐かしい想い出話しができ、聞けて、良かったです?
そして、お母さんと英二さんも、楽しい、お話しが出来ました。
まだまだ三姉妹がお元気で、熊本の地で再会でき、楽しいお話しが出来ますよう、私達はサポート、お世話させて頂きます。
その上で、私達の、お手本とさせて頂いている、仲の良いお二人様には、もっともっとお元気で「100才の指きり」見守りたいと想います。
今後とも、ツタエお母さん、ともども、ご愛顧下さいますよう、お願い致します。この度は、たくさんの野菜など、あわせ、ありがとうございました。 敬具
2017.3.20. お彼岸
上瀧勇哲、洋子ちゃん
毎年、ツタエお母さんと洋子ちゃんが作るおせち重箱、今年は私の実家上瀧家で皆と頂きました。
国東半島へ魚釣りの帰りがけ、豊後高田市の仙人湯温泉に入り、食事しました。
中の良い美人三姉妹は、今でも温かい、おもてなしを頂けています。
洋子ちゃんの、おじいちゃん、おばあちゃん。西野寿お爺ちゃんは、洋子ちゃん、育ての親。
長崎県大村市の県営団地の神社とアパート、その集会所などは、10数年前取り壊しとなり、今は公園
見明ツタエさんはこんな人
ツタエさんは洋子(釣りのファン子)ちゃんのお母さん、私の義母になる方です。
お名前は再婚されてから変わりましたので、後ほど紹介します。
まず、代々伝わる親譲りの才能を持つ方で、知的で努力家。昔で言うなら武家のお姫様。
若い時は、生活に追われていたので趣味も無かったそうです。
しかし、子供が大きく育つ頃より、昔の書物を読みあさり、漢文をマスターするほどになります。
50代の頃より絵画、水彩画をはじめ、大村文芸出版社との付き合いから和歌、
短歌、詩、色々。それでも飽き足らず歌詩の通信教育等も勉学。
何事にも熱心で、私達の領域までの魚釣りにも興味を抱き
20数年間、暇があれば釣りもするこの頃です。
大村市在住。
見明ツタエさんの生いたち
熊本県宇土市長浜町出身。父 浦本佐太郎、母 タキの6人兄弟姉妹の長女として生まれる。
次女、三女とも健在。
家が半農、半漁の生活で、広い遠浅の長浜の海で育つ。
20代の頃、北九州市若松区の浦本家に嫁ぎ、二人の子供をもうける
浦本英二と洋子である。
しかし、子供達が小学、中学で離婚。
母子家庭を支えてくれたのが西野 寿さんである。
その寿じいちゃんが、ツタエさんの仕事から家事まで、親代わりとなり子供達の面倒を見た。
その時代に私と洋子ちゃんが知り合い結婚する。
そして初孫の裕美が生まれ、ツタエお母さんと、寿爺ちゃんが、我が子のように可愛がった。
5年後、真一が生まれ、間もなく寿さんがこの世を去った。
浦本英二さんも結婚し、家庭を持ち、安心したツタエさんは、
西野 寿さんの弟である、大村市在住の見明直雄さんのプロポーズを受け再婚する。
ツタエさん、55才の頃である。
見明直雄さんは宮司、いわゆる神主を職業にする方で、
太平洋戦争時代、陸軍の特使として、台湾の高雄神社を創建、その宮司として責を全うした。
終戦後、帰還し、長崎県大村市で大村神社や興天宮等、宮司をしていたが、
川棚町の大安殿で、結婚式の宮司をすることを主にしていた。
それで結婚した、ツタエお母さんは、巫女になり、仕事の手伝いをする事になる。
見明直雄さんはこんな人、そして
私が始めて出会ったのは、洋子ちゃんと新婚生活を始めたときだった。
息子の正臣さんと、ひょっこり若松の、寿兄さんに、会いに来たときでした。
背が高く、声も高い、ガッチリした人で、西野家から見明家に養子に行かれたと聞きました。
温厚で人アタリの良い優しい人で、この時は、まだ神主さんとは知らなかった。
その後、ツタエお母さんが、この方と再婚し、大村に行きましたので、
私達家族は、年に2〜3度は大村に泊りがけで遊びに行きます。
狭い家でしたが、見明じいちゃんから、温かい、おもてなしを随分頂きました。
何より子供の裕美、真一を孫のように可愛がってくれ、子供が大村に行きたいコール。
長崎県はオランダ村とか、川棚園、長崎市内観光、大村市内は全て一緒に観光しました。
お仕事は神主さんと、国から委託された国民健康保険の外交員。
そして、旭アパート4棟、90家の町内会長やら、色々な世話係等で、
たくさんの人々から尊敬と親しみを一身に受けていた方です。
自慢は豊富な交友を生かし、国、県、市に嘆願して旭公民館を設置させたことです。
その他に神社、祭り、市政に関わる行事など、随分活躍されました。
そのようなお爺ちゃんが、小倉南区の我が家に二度ツタエお母さんと遊びに来ました。
来ると、早速あっちこっちの親戚に電話し、若者が遊びに来ます、それに孫が7〜8人も来ますから、直雄じいちゃんは大喜びです。
そして、私達は見明直雄さんを最後まで看取りました。
直雄さんの遺言です、洋子ちゃんと私に「ツタエお母さんを頼みます」
その公民館で平成8年、直雄さんの葬儀をご長男である見明正臣さんがとりおこないました。
ツタエ母さん50代なかばで芽生えた幸福と趣味
ツタエお母さん、見明直雄さんと結婚し、始めて幸福を感じた ! ! 私はそう想います。
その証が、ここに紹介する、たくさんの作品です。
この作品は全て大村で手掛けられたもので、絵画や歌、
どれをとっても、人生を明るく幸せである、ことを感じさせてくれるものです。
直雄さんの広い心と、たくさんの親交を、そばで体観しながら、
毎日のライフサイクルをエンジョイしてゆく過程を、私達は見守りました。
そして「お母さん幸せですね」「よかったね」の20年間を、
この作品とともに、人生を語れたら良いと想います。
見明直雄さんなくして、この作品はありません
ここに紹介した、ツタエお母さんの作品は、70%ごろ、紹介しています。
大村文芸出版社や、ご親戚の皆様に、記念として差し上げたもの等、かなりあります。
たくさんの絵画、水彩画、和歌集もありますが、
私と関わった作品は全て観ていただきます。
又、水彩画や絵画は、いずれ記念館?でも展示保管しようかとも思っています。
ご親戚の皆様には、お近付きの上、ツタエお母さんと相談の上、
貰っていただけるかも知れませんので、何かありましたら遠慮なく私へ連絡下さい。
又、作品についての感想等もいただけたら嬉しいです。
是非、これを機会に、お近付きのこと、よろしくお願いします。
平成20年5月28日 編集 上瀧勇哲
私の原稿を洋子ちゃんがパソコン文字打ちしています。お母さんが描いたA1の騎馬隊。 周防灘から昇って来た朝日
鯛の嫁入り 1990,4 年号申せばナマズえの、 うなぎの年の今日は、吉日カニの日で、海の大人の鯛之助、 大村湾の龍宮にお婿入りとなりました。 鯛之助の出で立ちは、めの羽の羽織に、カジメの袴、イカの足袋。 蛤の申すには、ナマコのお伴に、三尺二寸の太刀の魚、キスゴやクラゲ、 アワビに、さざえを引連れて、今日は晴れたぞ鯛之助。 タナゴ心で、チンとノリ、左手には、 ぐち、せいご、おこぜと言えるつわものや、あごと、かますが提灯持ちに、 沖をめがけて心ざす。 あまたのサヨリやイワシも御伴で、 およぐ大村湾の龍宮と成りぬれば、イルカの大門おし開き、舅のボラが出迎えて、 姫のおフグが立ち出でて、名高き鯛之助は、美人と言われし、 こんなおたフグに、ええかと思うてイカばかり。 色の黒いが生まれ付き、口の細いは親ゆずり、 頭の悪いはいたづらゆえに縁ないカレイが夫婦のちぎり。 アジな夫婦が仲人で、あたまのザコは、声々にヒャアーヒャアーとはやしたて、 飛魚などは立ちながら、近頃にない、よい婿どんじゃあー婿どんじゃあー 奥の一間となりぬれば、先年貝の大盃でいっきに飲み乾す、 かながしらやアラカブ、メバル。 あまた客は大声で奥の客間が大さわぎ、勝手がたにも大さわぎ、 上が歌えば下が舞う、下が歌えば、上からはやす。 カツオはかんつけイカなど呑ます。イカどころかクラゲも踊ればエビ跳ね廻る。 イセエビ我身の生れ付き、ひだるうのうても目が出る。 盗人はせねど手が長い、鬼じゃないけど角がはえ、 酒は呑まねど五体が赤い、年は取らねど腰かがむ、これで姿が不出来でござる。 あまたのザコが声々に、とっぴょうしもない良い婿どんと言いながら、 つづみに合わせて踊りだす。 横で仲人歌い出す。 高砂やーこの浦舟のレンコ鯛、 二つも三つも十も十五も串にさされて炭火にあぶられ御身は細る沖津風。 海の大将、祝の鯛こそめでタイ、めでタイと歌い居る。 長崎県大村市在住 見明ツタエ |
記評・上瀧勇哲
洋子ちゃんの、お母さんが、大村で再婚し、
今までにない幸福な生活を、おくっているとき、書いた詩です。
温かいユーモアのある詩は、歌人としてのセンスはもちろん、
大村文芸社とのつながりを深めた一筆です。
昔の流行歌の中から 1993,5 十五、十六ナァ波の花。 十七、八は恵みの花よ。 十九、二十はつぼみの花よ。 二十一で開いて二で咲く花よ。 はたち越しての月日の早さ。 三で嫁いで四でしおしおと、五つで散り行くこの世の花よ。 女子の盛りは二十や三十. 夫の盛りは三十や四十。 後生を願わば若い時成る後生念佛は、船に宝を積むここち。 六十越えれば老いの花。 老いの坂おばたどる時きゃァ、坂に車を押すごとく、 七十過ぎれば日暮れの道よ。急がぬ道の先の早さよ。 八十過ぎれば、いかに名高い美女、美男でも腰におのずと弓をはり、顔に四海の波がよる。 千年にのべし黒髪も老いの白髪となるばかり。 老いの白髪も四海の波も、この世に生きた貫禄よ。 とにかく陽気に、この世を暮らしましょう。 十五夜の月に恥ずかし我が姿。 路地の細戸を心ひそかに明けて見れば表に君の顔。 目と目を見合わせ顔と顔。物も申さぬ君の顔。 一夜なりとか、ツマグロに成りたい物とコウバイウメ。 筆に任せてカキツバタ。 文に任せてユウガオの色好い返事をくれないと、 君は何もハナギクで水になびけど糸柳。 我が門は立つ花で内の様子をキクの花。 いついつ逢うて、その夜には背なの一つもナデシコに、なりたい物とモモの花。 寒に苦労の、つぼみのウメも深山ザクラや山ツツジ。 人にもらすな我が心明けて楽しむサクラ花。 人は知らぬと思えども、脇のひょうたん。 クチナシの八声を告げるかけいすの、男には知らすなオニアザミ。 知らせめしたや女子方に恋の習いの花づくし。 梅はうつるか柳は緑、花は赤色、人はただ心と言うことだろうか。 この世に生まれた人は、一振り、二心、三黒髪に。 黒髪とは申せども男子によらず女子にもよらず、 女子がしなをつくるのは、その場の飾り、立場を飾るが今世の流行。 見ため良いのが見る時ばかり。姿良いのが立つときばかり、 心良いのが芯までとける。 打つとも、突くとも、袖引くとても、腹を立つるな立場を残せ。 立場あらせば辛きに人が手掛ける人も更になし、 とかく浮世は柔らかに。 雨は降りしく、流れは早る。 折れ伏す足に蟹はただ、悪しき思いか良き事か、 顔を赤めてブツブツと、泡を吹き吹き寄り縋る。 どっちに行くやら戻るやら、流れを立る身になれて、 恋にもなれて浮かれるか、横に這うまで忘れぬは、己が穴と知られたり。 長崎県大村市 在住 見明ツタエ |
記評・上瀧勇哲
多彩な趣味を持つお母さんが、ご自分の人生と、生き方をかいま見ながら、今のご主人と、楽しい充実した日々を過ごしているとき、昔の想い出と、今の現実を写しだす、姿を親しみながら書いた詩と思います。
ナマコの寝袋 1988,6 私しゃあ琴海大村湾、海の底では名も高き、ナマコ一家の大将じゃあ 今日の陽気にさそわれて、のらりくらりと散歩に這い出て、途中で昼寝の真っ最中。 そこえ小舟でおっさんが、ぎっちらぎっちら、やって来て、 箱の眼鏡ひょいとのぞき、棒の先でつつかれて、 水上されて連れて行かれた魚市は、 がやがや声々 やれ賑やかな、 あれよあれよにせり落とされて着いたところが魚屋さん そこへおばさんやって来て、おっさんナマコこれいくら? ナイロン袋におしこめて、これは三百よかナマコ、 おばさん私をぶらさげて、行ったところは台所、 流しの上でどうでもなれと寝そべった。 そこでおばさんひょいとつまみ、まな板裁判包丁死刑、 大根おろしに酢をかけられて、飲兵衛おっさん喜んだ。 酒と一緒に胃袋へ、たらふくつめて、これは珍味じゃうまかった、 ごろりと横に寝転んで、ごうごう ぐうぐう高いびき、 私も胃袋でひと寝入り こりゃ有難い寝袋じゃあ…… ナマコの大将一人ごと…… 長崎県大村市 在住 見明ツタエ |
記評・上瀧勇哲
ツタエお母さんが、趣味のお付き合いで、公民館とか、大村商店街のお友達、町内の旅行等で、たくさんの人間関係を築き、毎日のコミュニティーが幸福。そして直雄さんと、大村で幸せな日々を送っているとき書いたものです。
初釣り 1995,1,2 山を越え初釣りせんと急ぎゆく 雲海見えてよろこびの湧く 年々ならひとなりて 正月の二日夜明けの磯釣りたのし 灯台の下に釣り糸垂れて 岩打つ波の音を聞きつつ 今年もまた山口県の三見にて 灯台のもと釣り糸を投ぐ 初釣りの吾も大きなるカレイあげ 得意顔せり写真の中に ぐいぐいとしなる釣り竿リール巻き 海ヘビあがる吾のおどろき 長崎県大村市 在住 見明ツタエ |
記評・上瀧勇哲
毎年のお正月は私達家族と一ヶ月ほど過ごします。その中で何日かは、お魚釣りが含まれるのです。
今年は新たな、良く釣れる釣り場を開拓したので、
その釣り場へ、ツタエお母さんと洋子ちゃんで釣行しました。
暗い早朝、中国自動車道を走るとき、山頂に近い道路から広い雲海が見えました。
そのときの感動と、魚釣りの楽しさを描きました。
長門市仙崎を通り過ぎ三見港へ。波止からの投げ釣りでアイナメ、カレイの大物をつりました。
ツタエお母さんも投げ竿で、フルスイングして、カレイの大物釣りました。
帰りは長門市の町営 湯本温泉の真っ白い湯にひたり、深夜帰宅の初釣りでした。
カラオケのとも 1996,4 カラオケの音譜を習ひょうやくに 楽しみとなるこの歳にして 笑ひ声ひろがる中に吾もゐて 楽しく過ごす今日もなかまと 毎日をたのしく集ふ友のゐて 風の中いとはずいそぐ 友達の四人五人集まれば 寒さにもめげず笑ひ声たつ 長崎県大村市 在住 見明ツタエ |
記評・上瀧勇哲
大村市民会館の大舞台で、煌びやかなステージ衣装で歌う、母の姿を見る。
近所づきあいから始まった趣味のカラオケ友の会、
毎週二日の公民館カラオケ教室、その幹事役がお母さん。
レコード店で新しい歌を購入、人数分のテープをダビングする。
その勉強会から旅行も加えた楽しい宴、そして発表会は大村市民会館で、派手な衣装で歌います。
優しいご主人様が見つめ、応援してくれたカラオケ友の会です。
2017.3.12.北九州市若松区高塔山、タマエさん家にて、タマエさん、ツタエお母さん、洋子ちゃん。
タマエさん家、見明正臣さん、ツタエお母さん、洋子ちゃん、? 家の前の坂道で伊藤さん、お母さん、正臣さん
洋子ちゃん家で見明正臣さん、お母さん、夕食会。頭(髪)をカットし白髪染め、お風呂に入り奇麗になりました。行橋に一週間泊り、勝山ポートピア、若松ボート、お買い物、英二兄ちゃん家、あっち、こっち遊びました
秋義 様 タマエ 様
拝啓 桜の開花が始まりそうなこの頃、行橋市今川河口は、菜の花と桜のツボミが出てきて「こんにちは」しています、この頃です。
さて、先日の訪問では大変お世話になりました。
ツタエお母さんと一緒に、昔、懐かしい想い出話しができ、聞けて、良かったです
そして、お母さんと英二さんも、楽しい、お話しが出来ました。
まだまだ三姉妹がお元気で、熊本の地で再会でき、楽しいお話しが出来ますよう、私達はサポート、お世話させて頂きます。
その上で、私達の、お手本とさせて頂いている、仲の良いお二人様には、もっともっとお元気で「100才の指きり」見守りたいと想います。
今後とも、ツタエお母さん、ともども、ご愛顧下さいますよう、お願い致します。
この度は、たくさんの野菜など、あわせ、ありがとうございました。 敬具
2017.3.20. お彼岸
上瀧勇哲、洋子ちゃん
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