洋子ちゃんの故郷は熊本県宇土市長浜。その海は遠浅の黒砂海岸。
 お
じいちゃん、ばあちゃんの想い出、そして、従姉弟。
  幼して亡くした 彌平さん若松の想い出を語る。

                     
文、稿 上瀧勇哲



時代が違えばお姫様

洋子ちゃんはもう50代になりました。
昔のカワイイ洋子ちゃんではありませんが、まだまだ魅力はあります? 

そんなコロコロしていた子供時代から、社会人になるまでの浦本家と、
ご本家にあたる熊本県長浜をステージにした、お話しを紹介してまいります。




コロコロしたお姫様 北九州市若松で生まれる

お話しは若松から始まります。

洋子ちゃんのお父さんになる熊谷彌平さんと、浦本ツタエさんが、いきなり若松でお見合いして、トントン拍子で結婚が決まり、数週間後に結婚式だったそうです。

そして長男の英二さんが生まれ、3年後にコロコロしたお姫様、洋子ちゃんが生まれました。

お母さん子で、お兄ちゃんからすご〜く可愛がられたお姫様は、藤木小学校から石峰中学校、若松高校となります。
その間、色々なできごとがたくさんありましたけれど、一番のできごとは父、彌平さんが、あまりにも早くこの世を去ったことです。 このとき洋子ちゃんは9才の頃でした。

しかし、気持ちがしっかりしているツタエお母さんは、男勝りの仕事をつづけ、二人の子供を育てます。
その母子家庭を心から支えてくれたのが西野 寿じいちゃんでした。

ツタエお母さんのガンバリと西野 寿じいちゃんの愛情。
そして、なによりしっかり妹を抱きとめた英二兄さんがいます。

苦労した時代もあったのですが、なぜかしら笑い声がたえない家庭は、ツタエお母さんと英二兄さんの明るさ、そして西野 寿じいちゃんの人柄にありました。




父、熊谷彌平さんとは

私の知るところでは、実家が畳屋さんの長男であること。
絵がとっても上手で、なにごとも器用で、なんでも作ることが好きだったそうです。
早く亡くなったので、詳しく教えてもらえませんでしたが、家族で銭湯にゆき、子供達の体をゴシゴシ洗ってもらった楽しさ、想い出が一番深く残っている、と洋子ちゃんは言います。


ツタエさんの兄弟

ツタエお母さんの兄弟は6人居ます。
長男は熊本県宇土長浜で跡継ぎをされていますが、平成年度に亡くなりました。
次男は若松で、やはり亡くなり、三男の浦本正人さんがお元気です。

長女がツタエさんで、次女、清子さん、三女、玉枝さんがお元気で、それぞれが家業を継いでおられます。
その中で、同じ若松に住んでいる正人さんと玉枝さん家族は、洋子ちゃんのお気に入りです。
洋子ちゃんは昔から、こちらのお家で寝泊りしたり、従姉弟同士の遊びを良くしたそうです。




宇土、浦本ご本家とのお付合い

これからのお話しは、洋子ちゃんと結婚してからの、ご本家様とのお付合いを紹介します。
1974年から1990年ごろが一番多く通っていた頃になりますが、その頃を私のイメージで書きとめておきます。

 


はじめに1974年3月16日、私と洋子ちゃんの結婚式

若松区の婦人会館で式を挙げますが、このとき熊本から浦本諭さん(長男)ご夫婦、松崎俊治さんご夫婦(次女 清子)、がお祝いに、かけつけてくれ、始めてお会いすることになります。

その年の夏、始めて熊本の実家に行きます。
もちろん、おじいちゃん、おばあちゃんに、結婚のご報告をする為です。

その当時のお家は昔の農家で、真っ黒く日焼けした小柄のおじいちゃん、おばあちゃんから野菜や自家製で作った平海苔をたくさん頂きました。

次の年、裕美が生まれます。
おじいちゃんが亡くなったことを後で聞き、初盆に英二兄さんとツタエお母さん、そして洋子ちゃんと生まれたばかりの裕美ちゃん連れて行き、それはもう大歓迎の浦本家でした。
そして、2年後におばあちゃんが亡くなり、再び私達は、お盆にお参りします。

もちろん家族で行くことになりますが、浦本英二くんもツタエ母さんも一緒で、しかもツタエ母さんの兄弟、家族も1〜2泊してのお泊りですから、ご本家様も大変です。

又、趣味であるお魚釣りで天草方面に行くとき、ちょっと、ここに寄り道することもありました。
結婚して7〜8年ごろは、色々と行く機会が多くあったようです。




浦本義輝さんが、親戚の不幸はみんな私が背負ってやる

ユーミン(裕美)が2〜4才の頃は、洋子ちゃんに似て、目がキョロキョロした可愛い女の子でしたので、皆から凄く可愛がられます。
このとき一番可愛がってくれたのが浦本諭さんの長男である義輝さんで、ご本家を継ぐ方です。
墓参りには、いつも裕美を抱っこして遊んでくれました。
その親、(私)は母子を残して天草へ魚釣りに行くのですね。釣りバカしてました。

そんな親交から急に寂しくなったのが、裕美の大好きな義輝さんが海の事故で亡くなり、表題の言葉を残して去ってしまいました。
又、ご本家の隣に住んでいる松崎清子さん、家族のおばあちゃんからも大変好かれ、この家で二度泊まったこともあります。

俊治さんも数年後、亡くなりましたが、二人の息子さんがキッチリ後を継いでおりますし、ご本家様も二人の息子さんが後継ぎされていますので、このところ年賀状だけのお付合いをしております

 


コロコロ洋子ちゃんの故郷、長浜の山と海

宇土半島から三角にかけての海岸は、山から急斜面にかけ落ちた、遠浅の海岸が数10qも続いています。
黒砂浜でドロ地も多く、深みにはまると足が中々抜けない浜です。。

しかし、黒砂部分の浜では軽トラックが、潮が引いた沖まで行けるのです。
そんな浜で貝掘りもでき、自家用の舟から、グチをたくさん釣らしてもらいました。

ご本家は半農、半漁のお仕事で、漁業権の中でアサリやアオノリ等で多くの収入を得ていたようです。
そんな浜で海水浴。すぐそこの山は、家からすぐに登れます。

浦本義輝さんがこの山に登ってカブト虫やクワガタ虫を捕ってきて、裕美と遊んでいましたから、ユーミンは虫も魚もヘッチャラで、あつかいきるのですね。

又、山水を利用した小川に自慢のコイやフナを飼う松崎さん親子。
もちろん食用にもするそうです。

とにかく自然がイッパイ、チョット足を伸ばせば魚が入れ食いの天草五橋があるのです。
そんな故郷を、洋子ちゃんとツタエお母さんは持っていました。




事実を書きまとめ、今の幸福を感謝したい。

私達家族は本当に皆さんから可愛がられました。

ただ甘えているばかりなのですが、甘えること、若いこと、コミュニケーションをとること、
ときどきの電話やお手紙、そして温かいハートをいつも持ち、お金では買えないものを共有することで、
いまだにお話しができることを、本当に感謝しています。

平成20年になり、今年こそお墓参りをしたい、そう想っております。

おじいちゃん、おばあちゃん、義輝さん、ユーミンに子供が生まれたことを報告したい、そう思って、ひとまずお休みにします。


 


                      2008. 5 月 28 日  上瀧勇哲



2009年9月20日、21日、22日 宇土長浜実家訪問 天草の釣り

7〜8年ぶりの訪問でしょうか。
今度は大村のツタエお母さんと洋子ちゃん三人で、長浜へ行きます。

早朝4時起床して、洋子ちゃんはパタパタ厚化粧。
ホンダステップバンにはオミヤゲと3日間のお魚釣り道具に、寝泊りするツールが後部シートを埋めつくしています。
そして5時出発。

まず北九州空港ICから長崎道、大村ICまで走って8時前に着きます。

前もって連絡してありますから準備OKのツタエお母さん。
見明正臣さんに送られて再出発。

今度は大村ICから九州道、熊本松崎ICから国道34号で長浜着がお昼です。
シルバーウイークデーということで、高速道も渋滞。 ノロノロ運転がかなりありました。

で、まずはツタエお母さんの妹にあたる、松崎清子さん家。
ここで写真のような、たくさんなご馳走を頂いてから、ご本家の浦本家に行き、仏前に手を合わせて、キヨメさん、義光さんに久しくご挨拶。

そして皆で納骨堂に行き、洋子ちゃんのおじいちゃん、おばあちゃん、そしてご先祖様にお参りして、これまでのご報告をいたします。

お天気も良く、大分様変わりした、隣近所の家並み。
しかし、海や山は相変わらず自然がいっぱいの、ご本家の風景があります。

午後4時、ツタエお母さんは、清子さんと久しぶりに遊ぶとか。
私達は、いつもの、お魚釣りを天草で二泊三日の釣りを楽しみます。

お魚釣りのお話しは別ページで見てもらいますが、お天気も良く、アッという間の3日間。
22日の午後、ふたたび清子さん家で、又々豪華なお昼ご飯を松崎清子さんと、浦本義光さん、私達3人の5人で頂きました。

又、たくさんの釣果は全てご親戚の皆様へプレゼントします。
名残惜しい時間がありましたけど、皆さんの見送りをいただいて、行橋へ夜、帰宅しました。




天草半島の釣りは3日間、オートキャンプして、釣り三昧でしたよ。


              
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